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「おくのほそ道」全文

01 序文(じょぶん)

月日(つきひ)は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行(ゆ)きかふ年もまた旅人(たびびと)なり。

舟の上に生涯(しょうがい)をうかべ、馬の口とらえて老(おい)をむかふるものは、日々(ひび)旅(たび)にして旅(たび)を栖(すみか)とす。

古人(こじん)も多く旅(たび)に死(し)せるあり。

よもいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそはれて、漂泊(ひょうはく)の思ひやまず、海浜(かいひん)にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上(こうしょう)の破屋(はおく)にくもの古巣(ふるす)をはらひて、やや年も暮(くれ)、春立てる霞(かすみ)の空に白河(しらかわ)の関こえんと、そぞろ神(がみ)の物につきて心をくるはせ、道祖神(どうそじん)のまねきにあひて、取(と)るもの手につかず。

ももひきの破(やぶ)れをつづり、笠(かさ)の緒(お)付(つ)けかえて、三里(さんり)に灸(きゅう)すゆるより、松島の月まず心にかかりて、住(す)める方(かた)は人に譲(ゆず)り、杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移(うつ)るに、

  草の戸も 住替(すみかわる)る代(よ)ぞ ひなの家

面八句(おもてはちく)を庵(いおり)の柱(はしら)にかけ置(お)く。

02 旅立ち(たびだち)

弥生(やよい)も末(すえ)の七日、あけぼのの空朧々(ろうろう)として、月はありあけにて光おさまれるものから、富士(ふじ)の嶺(みね)かすかに見えて、上野(うえの)・谷中(やなか)の花の梢(こずえ)、またいつかはと心ぼそし。

むつましきかぎりは宵(よい)よりつどひて、舟に乗(の)りて送る。

千じゆといふ所にて舟をあがれば、前途(せんど)三千里(さんぜんり)の思い胸(むね)にふさがりて、幻(まぼろし)のちまたに離別(りべつ)の泪(なみだ)をそそぐ。

  行(ゆ)く春や 鳥啼(なき)魚(うお)の 目は泪(なみだ)

これを矢立(やたて)の初(はじめ)として、行(ゆ)く道なを進まず。

人々は途中(みちなか)に立(た)ちならびて、後(うし)ろかげの見ゆるまではと見送(みおく)るなるべし。

03 草加(そうか)

ことし元禄(げんろく)二(ふた)とせにや、奥羽(おうう)長途(ちょうど)の行脚(あんぎゃ)ただかりそめに思ひたちて、呉天(ごてん)に白髪(はくはつ)の恨(うら)みを重(かさ)ぬといへども、耳にふれていまだ目に見ぬ境(さかい)、もし生(いき)て帰らばと、定(さだめ)なき頼(たの)みの末(すえ)をかけ、その日ようよう早加(そうか)といふ宿(しゅく)にたどり着(つ)きにけり。

痩骨(そうこつ)の肩(かた)にかかれるもの、まずくるしむ。

ただ身(み)すがらにと出(い)で立(た)ちはべるを、帋子(かみこ)一衣(いちえ)は夜の防(ふせ)ぎ、ゆかた・雨具(あまぐ)・墨筆(すみふで)のたぐひ、あるはさりがたき餞(はなむけ)などしたるは、さすがに打捨(うちすて)がたくて、路頭(ろとう)の煩(わずらい)となれるこそわりなけれ。

04 室の八島(むろのやしま)

室(むろ)の八嶋(やしま)に詣(けい)す。

同行(どうぎょう)曽良(そら)がいわく、「この神(かみ)は木(こ)の花さくや姫(ひめ)の神(かみ)ともうして富士(ふじ)一躰(いったい)なり。

無戸室(うつむろ)に入(い)りて焼(や)きたまふちかひのみ中に、火火出見(ほほでみ)のみこと生れたまひしより室(むろ)の八嶋(やしま)ともうす。

また煙(けむり)を読習(よみならわ)しはべるもこの謂(いわれ)なり」。

はた、このしろといふ魚を禁(きん)ず。

縁記(えんぎ)のむね世(よ)に伝(つた)ふこともはべりし。

05 仏五左衛門(ほとけござえもん)

卅日(みそか)、日光山(にっこうざん)の梺(ふもと)に泊(とま)る。

あるじのいいけるやう、「わが名を仏五左衛門(ほとけござえもん)といふ。よろず正直(しょうじき)をむねとするゆえに、人かくはもうしはべるまま、一夜(いちや)の草の枕(まくら)もうとけて休みたまへ」といふ。

いかなる仏(ほとけ)の濁世塵土(じょくせじんど)に示現(じげん)して、かかる桑門(そうもん)の乞食順礼(こつじきじゅんれい)ごときの人をたすけたまふにやと、あるじのなすことに心をとどめてみるに、ただ無智無分別(むちむふんべつ)にして、正直偏固(しょうじきへんこ)の者(もの)なり。

剛毅木訥(ごうきぼくとつ)の仁(じん)に近きたぐひ、気禀(きひん)の清質(せいしつ)もっとも尊(とうと)ぶべし。

06 日光(にっこう)

卯月(うづき)朔日(ついたち)、御山(おやま)に詣拝(けいはい)す。

往昔(そのむかし)この御山(おやま)を二荒山(ふたらさん)と書きしを、空海大師(くうかいだいし)開基(かいき)の時、日光と改(あらた)めたまふ。

千歳未来(せんざいみらい)をさとりたまふにや。

今この御光(みひかり)一天(いってん)にかかやきて、恩沢八荒(おんたくはっこう)にあふれ、四民安堵(しみんあんど)の栖(すみか)穏(おだやか)なり。

猶(なお)憚(はばかり)多くて筆(ふで)をさし置(おき)ぬ。

  あらたうと 青葉若葉(あおばわかば)の 日の光

07 黒髪山(くろかみやま)

黒髪山(くろかみやま)は霞(かすみ)かかりて、雪いまだ白し。

  剃捨(そりすて)て 黒髪山(くろかみやま)に 衣更(ころもがえ) 曽良

曽良(そら)は河合氏(かわいうじ)にして、惣五郎(そうごろう)といへり。

芭蕉(ばしょう)の下葉(したば)に軒(のき)をならべて、よが薪水(しんすい)の労(ろう)をたすく。

このたび松島(まつしま)・象潟(きさがた)の眺(ながめ)ともにせんことを悦(よろこ)び、かつは羈旅(きりょ)の難(なん)をいたはらんと、旅(たび)立つ暁(あかつき)髪(かみ)を剃(そ)りて墨染(すみぞめ)にさまをかえ、惣五(そうご)を改(あらため)て宗悟(そうご)とす。

よって黒髪山(くろかみやま)の句(く)あり。

「衣更(ころもがえ)」の二字(にじ)力(ちから)ありてきこゆ。

廿余丁(にじゅうよちょう)山を登つて瀧(たき)あり。

岩洞(がんとう)の頂(いただき)より飛流(ひりゅう)して百尺(はくせき)、千岩(せんがん)の碧潭(へきたん)に落(お)ちたり。

岩窟(がんくつ)に身(み)をひそめ入(い)りて瀧(たき)の裏(うら)より見れば、裏見(うらみ)の瀧(たき)ともうし伝(つた)えはべるなり。

  しばらくは 瀧(たき)に籠(こも)るや 夏(げ)の初(はじめ)

08 那須(なす)

那須(なす)の黒ばねといふ所(ところ)に知人(しるひと)あれば、これより野越(のごえ)にかかりて、直道(すぐみち)をゆかんとす。

遥(はるか)に一村(いっそん)を見かけて行(ゆ)くに、雨降(ふ)り日暮(く)るる。

農夫(のうふ)の家に一夜(いちや)をかりて、明(あく)ればまた野中(のなか)を行(ゆ)く。

そこに野飼(のがい)の馬あり。

草刈(か)る男の子(おのこ)になげきよれば、野夫(やふ)といへどもさすがに情(なさけ)しらぬには非(あら)ず。

「いかがすべきや。されどもこの野は縦横(じゅうおう)にわかれて、うゐうゐ(ういうい)しき旅人(たびびと)の道ふみたがえむ、あやしうはべれば、この馬のとどまる所にて馬を返したまへ」と、かしはべりぬ。

ちいさき者ふたり、馬の跡(あと)したひて走る。

独(ひとり)は小姫(こひめ)にて、名をかさねといふ。

聞きなれぬ名のやさしかりければ、

  かさねとは 八重撫子(やえなでしこ)の 名(な)成(な)るべし 曽良

やがて人里(ひとざと)にいたれば、あたひを鞍(くら)つぼに結付(むすびつ)けて、馬を返(かえ)しぬ。

09 黒羽(くろばね)

黒羽(くろばね)の館代(かんだい)浄坊寺(じょうほうじ)何(なに)がしの方(かた)におとずる。

思ひがけぬあるじの悦(よろこ)び、日夜(にちや)語(かた)りつづけて、その弟(おとうと)桃翠(とうすい)などいふが、朝夕(ちょうせき)勤(つと)めとぶらひ、自(みずから)の家にも伴(ともな)ひて、親属(しんぞく)の方(かた)にもまねかれ、日をふるままに、日とひ郊外(こうがい)に逍遙(しょうよう)して、犬追物(いぬおうもの)の跡(あと)を一見(いっけん)し、那須(なす)の篠原(しのはら)をわけて玉藻の前(たまものまえ)の古墳(こふん)をとふ。

それより八幡宮(はちまんぐう)に詣(もう)ず。

与一(よいち)扇(おうぎ)の的(まと)を射(い)し時、「べっしては我国氏神(わがくにのうじがみ)正八(しょうはち)まん」とちかひしもこの神社(じんじゃ)にてはべると聞けば、感應(かんのう)殊(ことに)しきりに覚(おぼ)えらる。

暮(くるれば桃翠(とうすい)宅(たく)に帰る。

修験光明寺(しゅげんこうみょうじ)といふあり。

そこにまねかれて行者堂(ぎょうじゃどう)を拝(はい)す。

  夏山(なつやま)に 足駄(あしだ)をおがむ かどでかな

10 雲巌寺(うんがんじ)

当国(とうごく)雲巌寺(うんがんじ)のおくに佛頂和尚(ぶっちょうおしょう)山居跡(さんきょのあと)あり。

  竪横(たてよこ)の 五尺(ごしゃく)にたらぬ 草(くさ)の庵(いお)
        むすぶもくやし 雨なかりせば

と、松の炭(すみ)して岩に書き付(つ)けはべりと、いつぞや聞こえたまふ。

その跡(あと)みむと雲岸寺(うんがんじ)に杖(つえ)をひけば、人々すすんでともにいざなひ、若(わか)き人おほく、道のほど打(う)ちさはぎて、おぼえずかの梺(ふもと)にいたる。

山はおくあるけしきにて、谷道(たにみち)はるかに、松(まつ)杉(すぎ)黒く、苔(こけ)しただりて、卯月(うづき)の天今なお寒(さむ)し。

十景(じっけい)つくる所(ところ)、橋(はし)をわたつて山門(さんもん)に入(い)る。
 さて、かの跡(あと)はいづくのほどにやと、後(うし)ろの山によぢのぼれば、石上(せきじょう)の小庵(しょうあん)岩窟(がんくつ)にむすびかけたり。

妙禅師(みょうぜんじ)の死関(しかん)、法雲法師(ほううんほうし)の石室(せきしつ)を見るがごとし。

  木啄(きつつき)も 庵(いお)はやぶらず 夏木立(なつこだち)

と、とりあへぬ一句(く)を柱(はしら)に残(のこ)しはべりし。

11 殺生石・遊行柳(せっしょうせき・ゆぎょうやなぎ)

これより殺生石(せっしょうせき)に行(ゆ)く。

館代(かんだい)より馬にて送(おく)らる。

この口付(つ)きの男の子(おのこ)、短冊(たんじゃく)得(え)させよとこう。

やさしきことを望(のぞ)みはべるものかなと、

  野(の)を横(よこ)に 馬(うま)ひきむけよ ほととぎす

殺生石(せっしょうせき)は温泉(いでゆ)の
出(い)づる山陰(やまかげ)にあり。

石の毒気(どくけ)いまだほろびず。

蜂(はち)蝶(ちょう)のたぐひ真砂(まさご)の色の見えぬほどかさなり死す。

また、清水(しみず)ながるるの柳(やなぎ)は蘆野(あしの)の里にありて田の畔(くろ)に残(のこ)る。

この所(ところ)の郡守(ぐんしゅ)戸部(こほう)某(なにがし)のこの柳(やなぎ)見せばやなど、おりおりにのたまひ聞こえたまふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日この柳(やなぎ)のかげにこそ立ち寄(よ)りはべりつれ。

  田(た)一枚(いちまい) 植(う)えて立ち去(さ)る 柳(やなぎ)かな

12 白河(しらかわ)

心もとなき日かず重(かさ)なるままに、白河(しらかわ)の関(せき)にかかりて、旅心(たびごころ)定(さだ)まりぬ。

いかで都(みやこ)へと便(たより)求(もと)めしもことわりなり。

中にもこの関(せき)は三関(さんかん)の一(いつ)にして、風騒(ふうそう)の人、心をとどむ。

秋風を耳に残(のこ)し、紅葉(もみじ)を俤(おもかげ)にして、青葉(あおば)の梢(こずえ)なおあはれなり。

卯(う)の花の白妙(しろたえ)に、茨(いばら)の花の咲(さ)きそひて、雪にもこゆる心地(ここち)ぞする。

古人(こじん)冠(かんむり)を正(ただ)し、衣装(いしょう)を改(あらた)めしことなど、清輔(きよすけ)の筆(ふで)にもとどめ置(お)かれしとぞ。

  卯(う)の花を かざしに関(せき)の 晴着(はれぎ)かな 曽良(そら)

13 須賀川(すかがわ)

とかくして越(こ)え行(ゆ)くままに、あぶくま川を渡(わた)る。

左に会津根(あいづね)高く、右に岩城(いわき)・相馬(そうま)・三春(みはる)の庄(しょう)、常陸(ひたち)・下野(しもつけ)の地をさかひて、山つらなる。

かげ沼といふ所(ところ)を行(ゆ)くに、今日は空(そら)曇(くもり)て物影(ものかげ)うつらず。

須賀川(すかがわ)の駅に等窮(とうきゅう)といふものを尋(たず)ねて、四、五日とどめらる。

まず白河(しらかわ)の関(せき)いかにこえつるやと問(と)う。

「長途(ちょうど)のくるしみ、身心(しんじん)つかれ、かつは風景(ふうけい)に魂(たましい)うばはれ、懐旧(かいきゅう)に腸(はらわた)を断(た)ちて、はかばかしう思ひめぐらさず。

  風流(ふうりゅう)の 初(はじめ)やおくの 田植(たうえ)うた

無下(むげ)にこえんもさすがに」と語(かた)れば、脇(わき)・第三(だいさん)とつづけて、三巻(みまき)となしぬ。

 
この宿(しゅく)のかたわらに、大きなる栗(くり)の木陰(こかげ)をたのみて、世(よ)をいとふ僧(そう)あり。

橡(とち)ひろふ太山(みやま)もかくやとしづかに覚(おぼ)えられてものに書き付(つ)はべる。

其詞(そのことば)、

 栗(くり)といふ文字(もんじ)は西の木と書きて
 西方浄土(さいほうじょうど)に便(たより)ありと、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)の一生(いっしょう)
 杖(つえ)にも柱(はしら)にもこの木を用(もち)いたまふとかや。

  世(よ)の人の 見付(つ)けぬ花や 軒(のき)の栗(くり)

14 安積山(あさかやま)

等窮(とうきゅう)が宅(たく)を出(い)でて五里(ごり)ばかり、桧皮(ひわだ)の宿(しゅく)を離(はな)れて安積山(あさかやま)あり。

路(みち)より近(ちか)し。

このあたり沼(ぬま)多し。

かつみ刈(か)るころもやや近(ちこ)うなれば、いづれの草を花かつみとはいふぞと、人々に尋(たず)ねはべれども、さらに知(し)る人なし。

沼(ぬま)を尋(たず)ね、人に問(と)ひ、かつみかつみと尋(たず)ねありきて、日は山の端(は)にかかりぬ。

二本松(にほんまつ)より右にきれて、黒塚(くろづか)の岩屋(いわや)一見(いっけん)し、福島(ふくしま)に宿(やど)る。

15 信夫の里(しのぶのさと)

あくれば、しのぶもぢ摺(ずり)の石を尋(たず)ねて、忍(しの)ぶのさとに行(ゆ)く。

遥(はるか)山陰(やまかげ)の小里(こざと)に石なかば土に埋(うず)もれてあり。

里の童(わら)べの来たりて教(おし)えける。

昔(むかし)はこの山の上にはべりしを、往来(ゆきき)の人の麦草(むぎくさ)をあらして、この石を試(こころ)みはべるをにくみて、この谷(たに)につき落(お)とせば、石の面(おもて)下ざまにふしたりといふ。

さもあるべきことにや。

  早苗(さなえ)とる 手もとや昔(むかし) しのぶ摺(ずり)

16 佐藤庄司が旧跡(さとうしょうじがきゅうせき)

月の輪(わ)のわたしを超(こ)えて、瀬(せ)の上といふ宿(しゅく)に出(い)づ。

佐藤庄司(さとうしょうじ)が旧跡(きゅうせき)は、左の山際(やまぎわ)一里半(いちりはん)ばかりにあり。

飯塚(いいづか)の里鯖野(さばの)と聞きて尋(たず)ね尋(たず)ね行(ゆ)くに、丸山(まるやま)といふに尋(たず)ねあたる。

これ、庄司(しょうじ)が旧跡(きゅうせき)なり。

梺(ふもと)に大手(おおて)の跡(あと)など、人の教(おし)ゆるにまかせて泪(なみだ)を落(お)とし、またかたはらの古寺(ふるでら)に一家(いっけ)の石碑(せきひ)を残(のこ)す。

中にも、二人の嫁(よめ)がしるし、まず哀(あわ)れなり。

女なれどもかひがひしき名の世に聞こえつるものかなと、袂(たもと)をぬらしぬ。

堕涙(だるい)の石碑(せきひ)も遠(とお)きにあらず。

寺に入(い)りて茶(ちゃ)を乞(こ)へば、ここに義経(よしつね)の太刀(たち)、弁慶(べんけい)が笈(おい)をとどめて什物(じゅうもつ)とす。

  笈(おい)も太刀(たち)も 五月(さつき)にかざれ 帋幟(かみのぼり)

五月(さつき)朔日(ついたち)のことなり。

17 飯塚の里(いいづかのさと)

その夜飯塚(いいづか)にとまる。

温泉(いでゆ)あれば湯(ゆ)に入(い)りて宿(やど)をかるに、土坐(どざ)に筵(むしろ)を敷(しき)て、あやしき貧家(ひんか)なり。

灯(ともしび)もなければ、ゐろりの火(ほ)かげに寝所(ねどころ)をまうけて臥(ふ)す。

夜(よる)に入(い)りて雷(かみ)鳴(なり)、雨しきりに降(ふり)て、臥(ふせ)る上よりもり、蚤(のみ)・蚊(か)にせせられて眠(ねむ)らず。

持病(じびょう)さへおこりて、消入(きえいる)ばかりになん。

短夜(みじかよ)の空(そら)もやうやう明(あく)れば、また旅立(たびだち)ぬ。

なお、夜(よる)の余波(なごり)心すすまず、馬(うま)かりて桑折(こおり)の駅(えき)に出(い)づる。

遥(はるか)なる行末(ゆくすえ)をかかえて、かかる病(やまい)覚束(おぼつか)なしといへど、羇旅(きりょ)辺土(へんど)の行脚(あんぎゃ)、捨身(しゃしん)無常(むじょう)の観念(かんねん)、道路(どうろ)にしなん、これ天の命(めい)なりと、気力(きりょく)いささかとり直(なお)し、路(みち)縦横(じゅうおう)に踏(ふん)で伊達(だて)の大木戸(おおきど)をこす。

18 笠嶋(かさじま)

鐙摺(あぶみずり)・白石(しろいし)の城(じょう)を過(すぎ)、笠嶋(かさじま)の郡(こおり)に入(い)れば、藤中将実方(とうのちゅうじょうさねかた)の塚(つか)はいづくのほどならんと人にとへば、これより遥(はるか)右(みぎ)に見ゆる山際(やまぎわ)の里をみのわ・笠嶋(かさじま)といい、道祖神(どうそじん)の社(やしろ)・かたみの薄(すすき)今にありと教(おし)ゆ。

このごろの五月雨(さみだれ)に道いとあしく、身(み)つかれはべれば、よそながら眺(ながめ)やりて過(すぐ)るに、蓑輪(みのわ)・笠嶋(かさじま)も五月雨(さみだれ)の折(おり)にふれたりと、

  笠嶋(かさじま)は いづこさ月の ぬかり道

19 武隈の松(たけくまのまつ)

岩沼(いわぬま)の宿(しゅく)

武隈の松(まつ)にこそ、目覚(さむ)る心地(ここち)はすれ。

根(ね)は土際(つちぎわ)より二木(ふたき)にわかれて、昔(むかし)の姿(すがた)うしなはずとしらる。

まず能因法師(のういんほうし)思ひ出(い)づ。

その昔(かみ)むつのかみにて下(くだ)りし人、この木を伐(きり)て、名取川(なとりがわ)の橋杭(はしぐい)にせられたることなどあればにや、「松(まつ)はこのたび跡(あと)もなし」とは詠(よみ)たり。

代々(よよ)、あるは伐(きり)、あるひは植継(うえつぎ)などせしと聞くに、今将(いまはた)、千歳(ちとせ)のかたちととのほひて、めでたき松(まつ)のけしきになんはべりし。

「武隈(たけくま)の松(まつ)みせ申(もう)せ遅桜(おそざくら)」

と挙白(きょはく)といふものゝ餞別(せんべつ)したりければ、

  桜(さくら)より 松(まつ)は二木(ふたき)を 三月(みつき)越(ご)し

20 仙台(せんだい)

名取川(なとりがわ)を渡(わたっ)て仙台(せんだい)に入(い)る。

あやめふく日なり。

旅宿(りょしゅく)をもとめて四五日(しごにち)逗留(とうりゅう)す。

ここに画工加右衛門(がこうかえもん)といふものあり。

いささか心ある者(もの)と聞きて知(し)る人になる。

この者(もの)、年比(としごろ)さだかならぬ名どころを考(かんがえ)置(おき)はべればとて、一日(ひとひ)案内(あんない)す。

宮城野(みやぎの)の萩(はぎ)茂(しげ)りあひて、秋(あき)の景色(けしき)思ひやらるる。

玉田(たまだ)・よこ野(の)・つつじが岡はあせび咲(さく)ころなり。

日影(ひかげ)ももらぬ松(まつ)の林(はやし)に入(い)りて、ここを木(き)の下(した)といふとぞ。

昔(むかし)もかく露(つゆ)ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。

薬師堂(やくしどう)・天神(てんじん)の御社(みやしろ)など拝(おがみ)て、その日はくれぬ。

なお、松嶋(まつしま)・塩竃(しおがま)の所々(ところどころ)、画(え)に書(かき)て送(おく)る。

かつ、紺(こん)の染緒(そめお)つけたる草鞋(わらじ)二足(にそく)餞(はなむけ)す。

さればこそ風流(ふうりゅう)のしれもの、ここにいたりてその実(じつ)を顕(あらわ)す。

  あやめ草(ぐさ) 足(あし)に結(むすば)ん 草鞋(わらじ)の緒(お)

かの画図(がと)にまかせてたどり行(ゆけ)ば、おくの細道(ほそみち)の山際(やまぎわ)に十符(とふ)の菅(すげ)あり。

今(いま)も年々(としどし)十符(とふ)の菅菰(すがごも)を調(ととのえて)て国守(こくしゅ)に献(けん)ずといえり。

21 多賀城(たがじょう)

壷碑(つぼのいしぶみ) 市川村(いちかわむら)多賀城(たがじょう)にあり。

つぼの石ぶみは高(たか)さ六尺(ろくしゃく)あまり、横(よこ)三尺(さんじゃく)斗(ばかり)か。

苔(こけ)を穿(うがち)て文字(もじ)かすかなり。

四維(しゆい)国界(こっかい)の数里(すうり)をしるす。

この城(しろ)、神亀(じんき)元年(がんねん)、按察使(あぜち)鎮守府(ちんじゅふ)将軍(しょうぐん)大野朝臣東人(おおのあそんあずまひと)の所置(おくところ)なり。
天平(てんぴょう)宝字(ほうじ)六年(ろくねん)参議(さんぎ)東海(とうかい)東山(とうせん)節度使(せつどし)同(おなじく)将軍(しょうぐん)恵美朝臣(えみのあそんあさかり)修造(しゅぞう)而(読まない文字)、十二月(じゅうにがつ)朔日(ついたち)とあり。

聖武皇帝(しょうむこうてい)の御時(おんとき)に当(あた)れり。

むかしよりよみ置(おけ)る哥枕(うたまくら)、おほく語(かたり)伝(つた)ふといへども、山崩(くず)れ川流(ながれ)て道あらたまり、石は埋(うずもれ)て土にかくれ、木は老(おい)て若木(わかぎ)にかはれば、時移(うつ)り代(よ)変(へん)じて、その跡(あと)たしかならぬことのみを、ここにいたりて疑(うたが)いなき千歳(せんざい)の記念(かたみ)、今眼前(がんぜん)に古人(こじん)の心を閲(けみ)す。

行脚(あんぎゃ)の一徳(いっとく)、存命(ぞんめい)の悦(よろこ)び、羈旅(きりょ)の労(ろう)をわすれて、泪(なみだ)も落(お)つるばかりなり。

22 末の松山・塩竃(すえのまつやま・しおがま)

それより野田(のだ)の玉川(たまがわ)・沖(おき)の石を尋(たず)ぬ。

末(すえ)の松山(まつやま)は寺を造(つく)りて末松山(まっしょうざん)といふ。

松(まつ)のあひあひ皆(みな)墓原(はかはら)にて、はねをかはし枝(えだ)をつらぬる契(ちぎ)りの末(すえ)も、終(ついに)はかくのごときと、悲(かな)しさも増(まさ)りて、塩(しお)がまの浦(うら)に入相(いりあい)のかねを聞く。

五月雨(さみだれ)の空いささかはれて、夕月夜(ゆうづくよ)かすかに、籬(まがき)が嶋(しま)もほど近(ちか)し。

あまの小舟(おぶね)こぎつれて、肴(さかな)わかつ声々(こえごえ)に、「綱手(つなで)かなしも」とよみけむ心もしられて、いとど哀(あわ)れなり。

その夜、目盲(めくら)法師(ほうし)の琵琶(びわ)をならして奥(おく)じょうるりといふものをかたる。

平家(へいけ)にもあらず、舞(まい)にもあらず。

ひなびたる調子(ちょうし)うち上(あ)げて、枕(まくら)ちかうかしましけれど、さすがに辺土(へんど)の遺風(いふう)忘(わす)れざるものから、殊勝(しゅしょう)に覚(おぼ)えらる。

23 塩竃神社(しおがまじんじゃ)

早朝(そうちょう)塩竃(しおがま)の明神(みょうじん)に詣(もうず)。

国守(こくしゅ)再興(さいこう)せられて、宮柱(みやばしら)ふとしく彩椽(さいてん)きらびやかに、石の階(きざはし)九仞(きゅうじん)に重(かさ)なり、朝日(あさひ)あけの玉(たま)がきをかかやかす。

かかる道の果(はて)、塵土(じんど)の境(さかい)まで、神霊(しんれい)あらたにましますこそ、吾国(わがくに)の風俗(ふうぞく)なれと、いと貴(とうと)けれ。

神前(しんぜん)に古(ふる)き宝燈(ほうとう)あり。

かねの戸(と)びらの面(おもて)に文治(ぶんじ)三年和泉(いずみの)三郎(さぶろう)寄進(きしん)とあり。

五百年来(ごひゃくねんらい)のおもかげ、今目の前(まえ)にうかびて、そぞろに珍(めずら)し。

かれは勇義(ゆうぎ)忠孝(ちゅうこう)の士(し)なり。

佳命(かめい)今にいたりてしたはずといふことなし。

誠(まことに)人能(よく)道(みちを)を勤(つとめ)、義(ぎ)を守(まも)るべし。

名もまたこれにしたがふといえり。

日すでに午(ご)にちかし。

舟をかりて松嶋(まつしま)にわたる。

その間(あい)二里(にり)あまり、雄嶋(おじま)の磯(いそ)につく。

24 松島

そもそもことふりにたれど、松島(まつしま)は扶桑(ふそう)第一(だいいち)の好風(こうふう)にして、およそ洞庭(どうてい)・西湖(せいこ)を恥(はじ)ず。

東南(とうなん)より海を入(い)れて、江(え)の中(うち)三里(さんり)、浙江(せっこう)の潮(うしお)をたたふ。

島々(しまじま)の数(かず)を尽(つく)して、欹(そばだつ)ものは天を指(ゆびさし)、ふすものは波(なみ)に匍匐(はらばう)。

あるは二重(ふたえ)にかさなり、三重(みえ)に畳(たた)みて、左にわかれ右につらなる。
負(おえ)るあり抱(いだけ)るあり、児孫(じそん)愛(あい)すがごとし。

松(まつ)の緑(みどり)こまやかに、枝葉(しよう)汐風(しおかぜ)に吹(ふ)きたはめて、屈曲(くっきょく)をのづからためたるがごとし。

そのけしき、よう然(ぜん)として美人(びじん)の顔(かんばせ)を粧(よそお)ふ。

ちはや振(ぶる)神(かみ)のむかし、大山(おおやま)ずみのなせるわざにや。

造化(ぞうか)の天工(てんこう)、いづれの人か筆(ふで)をふるひ、詞(ことば)を尽(つく)さむ。

25 雄島

雄島(おじま)が磯(いそ)は地(ぢ)つづきて海に出(い)でたる島(しま)なり。

雲居禅師(うんごぜんじ)の別室(べっしつ)の跡(あと)、坐禅石(ざぜんせき)などあり。

はた、松(まつ)の木陰(こかげ)に世(よ)をいとふ人も稀々(まれまれ)見えはべりて、落穂(おちぼ)・松笠(まつかさ)など打(うち)けふりたる草(くさ)の庵(いおり)、閑(しずか)に住(すみ)なし、いかなる人とはしられずながら、まずなつかしく立寄(たちよる)ほどに、月海にうつりて、昼(ひる)のながめまたあらたむ。

江上(こうしょう)に帰りて宿(やど)を求(もと)むれば、窓(まど)をひらき二階(にかい)を作(つく)りて、風雲(ふううん)の中(うち)に旅寝(たびね)するこそ、あやしきまで、妙(たえ)なる心地(ここち)はせらるれ。

  松島(まつしま)や 鶴(つる)に身(み)をかれ ほととぎす 曽良(そら)

よは口をとぢて眠(ねむ)らんとしていねられず。

旧庵(きゅうあん)をわかるる時、素堂(そどう)松島(まつしま)の詩(し)あり。

原安適(はらあんてき)松(まつ)がうらしまの和歌(わか)を贈(おく)らる。

袋(ふくろ)を解(と)きて、こよひの友(とも)とす。

かつ、杉風(さんぷう)・濁子(じょくし)が発句(ほっく)あり。

26 瑞巌寺(ずいがんじ)

十一日、瑞岩寺(ずいがんじ)に詣(もうず)。

当寺(とうじ)三十二世(さんじゅうにせい)の昔(むかし)、真壁(まかべ)の平四郎(へいしろう)出家(しゅっけ)して入唐(にっとう)、帰朝(きちょう)の後(のち)開山(かいざん)す。

其後(そののち)に雲居禅師(うんごぜんじ)の徳化(とっか)によりて、七堂(しちどう)甍(いらか)改(あらた)まりて、金壁(こんぺき)荘厳(しょうごん)光(ひかり)を輝(かがや)かし、仏土(ぶつど)成就(じょうじゅ)の大伽藍(だいがらん)とはなれりける。

かの見仏聖(けんぶつひじり)の寺はいづくにやとしたはる。

27 石巻(いしのまき)

十二日、平和泉(ひらいずみ)と心ざし、あねはの松(まつ)・緒(お)だえの橋(はし)など聞き伝(つたえ)て、人跡(じんせき)稀(まれ)に雉兎(ちと)蒭蕘(すうじょう)の往(いき)かふ道そこともわかず、終(つい)に路(みち)ふみたがえて、石巻(いしのまき)といふ湊(みなと)に出(い)づ。

「こがね花咲(さく)」とよみてたてまつりたる金花山(きんかさん)、海上(かいしょう)に見わたし、数百(すひゃく)の廻船(かいせん)入江(いりえ)につどひ、人家(じんか)地をあらそひて、竈(かまど)の煙(けむり)立ちつづけたり。

思ひがけずかかる所(ところ)にも来たれるかなと、宿(やど)からんとすれど、さらに宿(やど)かす人なし。

漸(ようよう)まどしき小家(こいえ)に一夜(いちや)をあかして、明(あく)ればまたしらぬ道まよひ行(ゆ)く。

袖(そで)のわたり・尾(お)ぶちの牧(まき)・まのの萱(かや)はらなどよそめにみて、遥(はるか)なる堤(つつみ)を行(ゆ)く。

心細(こころぼそ)き長沼(ながぬま)にそふて、戸伊摩(といま)といふ所(ところ)に一宿(いっしゅく)して、平泉(ひらいずみ)にいたる。

その間(あい)廿余里(にじゅうより)ほどとおぼゆ。

28 平泉(ひらいずみ)

三代(さんだい)の栄耀(えいよう)一睡(いっすい)の中(うち)にして、大門(だいもん)の跡(あと)は一里(いちり)こなたにあり。

秀衡(ひでひら)が跡(あと)は田野(でんや)になりて、金鶏山(きんけいざん)のみ形(かたち)を残(のこ)す。

まず、高館(たかだち)にのぼれば、北上川(きたかみがわ)南部(なんぶ)より流(なが)るる大河(たいが)なり。

衣川(ころもがわ)は、和泉が城(いずみがじょう)をめぐりて、高館(たかだち)の下(もと)にて大河(たいが)に落(お)ち入(い)る。

泰衡(やすひら)らが旧跡(きゅうせき)は、衣が関(ころもがせき)を隔(へだ)てて、南部口(なんぶぐち)をさし堅(かた)め、夷(えぞ)をふせぐとみえたり。

さても義臣(ぎしん)すぐつてこの城(じょう)にこもり、功名(こうみょう)一時(いちじ)の叢(くさむら)となる。

国破(やぶ)れて山河(さんが)あり、城(しろ)春(はる)にして草(くさ)青(あお)みたりと、笠(かさ)打敷(うちしき)て、時のうつるまで泪(なみだ)を落(お)としはべりぬ。

  夏草や 兵(つわもの)どもが 夢(ゆめ)の跡(あと)

  卯の花(うのはな)に 兼房(かねふさ)みゆる 白毛(しらが)かな 曽良(そら)

かねて耳驚(おどろか)したる二堂(にどう)開帳(かいちょう)す。

経堂(きょうどう)は三将(さんしょう)の像(ぞう)をのこし、光堂(ひかりどう)は三代(さんだい)の棺(ひつぎ)を納(おさ)め、三尊(さんぞん)の仏(ほとけ)を安置(あんち)す。

七宝(しっぽう)散(ちり)うせて、珠(たま)の扉(とびら)風(かぜ)にやぶれ、金(こがね)の柱(はしら)霜雪(そうせつ)に朽(くち)て、すでに頽廃(たいはい)空虚(くうきょ)の叢(くさむら)と成(なる)べきを、四面(しめん)新(あらた)に囲(かこみ)て、甍(いらか)を覆(おおい)て雨風(ふうう)をしのぐ。

しばらく千歳(せんざい)の記念(かたみ)とはなれり。

  五月雨(さみだれ)の 降(ふり)のこしてや 光堂(ひかりどう)

29 尿前の関(しとまえのせき)

南部道(なんぶみち)遥(はるか)に見やりて、岩手(いわで)の里に泊(とま)る。

小黒崎(おぐろさき)・みづの小嶋(こじま)を過(すぎ)て、なるごの湯(ゆ)より尿前(しとまえ)の関(せき)にかかりて、出羽(でわ)の国に超(こ)えんとす。

この路(みち)旅人(たびびと)稀(まれ)なる所(ところ)なれば、関守(せきもり)にあやしめられて、漸(ようよう)として関(せき)をこす。

大山(たいざん)をのぼつて日すでに暮(くれ)ければ、封人(ほうじん)の家(いえ)を見かけて舎(やどり)を求(もと)む。

三日(みっか)風雨(ふうう)あれて、よしなき山中(さんちゅう)に逗留(とうりゅう)す。

  蚤(のみ)虱(しらみ) 馬(うま)の尿(ばり)する 枕(まくら)もと

あるじのいふ、これより出羽(でわ)の国に大山(たいざん)を隔(へだ)てて、道さだかならざれば、道しるべの人を頼(たの)みて越(こゆ)べきよしをもうす。

さらばといいて人を頼(たの)みはべれば、究境(くっきょう)の若者(わかもの)、反脇指(そりわきざし)をよこたえ、樫(かし)の杖(つえ)を携(たずさえ)て、我々(われわれ)が先に立ちて行(ゆ)く。

今日こそ必(かなら)ずあやうきめにもあふべき日なれと、辛(から)き思ひをなして後(うしろ)について行(ゆ)く。

あるじのいふにたがはず、高山(こうざん)森々(しんしん)として一鳥(いっちょう)声きかず、木(こ)の下闇(したやみ)茂(しげ)りあひて夜る行(ゆ)くがごとし。

雲端(うんたん)につちふる心地(ここち)して、篠(しの)の中踏分(ふみわけ)踏分、水をわたり岩に蹶(つまずい)て、肌(はだ)につめたき汗(あせ)を流(なが)して、最上(もがみ)の庄(しょう)に出(い)づ。

かの案内(あんない)せしおのこのいふやう、この道かならず不用(ぶよう)のことあり。

恙(つつが)なうをくりまいらせて仕合(しあわせ)したりと、よろこびてわかれぬ。

跡(あと)に聞きてさへ胸(むね)とどろくのみなり。

30 尾花沢(おばねざわ)

尾花沢(おばねざわ)にて清風(せいふう)といふ者(もの)を尋(たず)ぬ。

かれは富(とめ)るものなれども、志(こころざし)いやしからず。

都(みやこ)にも折々(おりおり)かよひて、さすがに旅(たび)の情(なさけ)をも知(しり)たれば、日ごろとどめて、長途(ちょうど)のいたはり、さまざまにもてなしはべる。

  
  涼(すず)しさを 我(わが)宿(やど)にして ねまるなり

  這(はい)出(い)でよ かひやが下(した)の ひきの声

  まゆはきを 俤(おもかげ)にして 紅粉(べに)の花

  蚕飼(こがい)する 人は古代(こだい)の すがたかな 曽良(そら)

31 山寺

山形領(やまがたりょう)に立石寺(りゅうしゃくじ)といふ山寺(やまでら)あり。

慈覚大師(じかくだいし)の開基(かいき)にして、殊(ことに)清閑(せいかん)の地なり。

一見(いっけん)すべきよし、人々(ひとびと)のすゝむるに依(より)て、尾花沢(おばなざわ)よりとつて返(かえ)し、その間(かん)七里(しちり)ばかりなり。

日いまだ暮(くれ)ず。

梺(ふもと)の坊(ぼう)に宿(やど)かり置(おき)て、山上(さんじょう)の堂(どう)にのぼる。

岩に巌(いわお)を重(かさ)ねて山とし、松栢(しょうはく)年旧(としふり)土石(どせき)老(おい)て苔(こけ)滑(なめらか)に、岩上(がんじょう)の院々(いんいん)扉(とびら)を閉(とじ)てものの音きこえず。

岸(きし)をめぐり岩を這(はい)て仏閣(ぶっかく)を拝(はい)し、佳景(かけい)寂寞(じゃくまく)として心すみ行(ゆ)くのみおぼゆ。

  閑(しずか)さや 岩にしみ入(い)る 蝉(せみ)の声

32 大石田

最上川(もがみがわ)のらんと、大石田(おおいしだ)といふ所(ところ)に日和(ひより)を待(ま)つ。

「ここに古(ふる)き誹諧(はいかい)の種(たね)こぼれて、忘(わす)れぬ花のむかしをしたひ、芦角(ろかく)一声(いっせい)の心をやはらげ、この道にさぐりあしして、新古(しんこ)ふた道にふみまよふといへども、道しるべする人しなければ」と、わりなき一巻(ひとまき)残(のこ)しぬ。

このたびの風流(ふうりゅう)ここにいたれり。

33 最上川(もがみがわ)

最上川(もがみがわ)はみちのくより出(い)でて、山形(やまがた)を水上(みなかみ)とす。

ごてん・はやぶさなどいふ、おそろしき難所(なんじょ)あり。

板敷山(いたじきやま)の北を流(ながれ)て、果(はて)は酒田(さかた)の海に入(い)る。

左右山覆(おお)ひ、茂(しげ)みの中に舟を下(くだ)す。

これに稲(いね)つみたるをや、稲舟(いなぶね)といふならし。

白糸(しらいと)の瀧(たき)は青葉(あおば)の隙隙(ひまひま)に落(おち)て仙人堂(せんにんどう)岸(きし)に臨(のぞみ)て立(たつ)。

水みなぎつて舟(ふね)あやうし。

  五月雨(さみだれ)を あつめてはやし 最上川(もがみがわ)

34 羽黒山(はぐろさん)

六月三日、羽黒山(はぐろさん)に登る。

図司左吉(ずしさきち)といふ者を尋(たず)ねて、別当代(べっとうだい)会覚阿闍利(えがくあじゃり)に謁(えっ)す。

南谷(みなみだに)の別院(べついん)に舎(やどり)して憐愍(れんみん)の情(じょう)こまやかにあるじせらる。

四日、本坊(ほんぼう)にをゐて誹諧(はいかい)興行(こうぎょう)。

  ありがたや 雪をかほらす 南谷(みなみだに) 

五日、権現(ごんげん)に詣(もうず)。

当山(とうざん)開闢(かいびゃく)能除大師(のうじょだいし)はいづれの代(よ)の人といふことをしらず。

延喜式(えんぎしき)に「羽州(うしゅう)里山(さとやま)の神社」とあり。

書写(しょしゃ)、「黒」の字を「里山」となせるにや。

「羽州(うしゅう)黒山(くろやま)」を中略(ちゅうりゃく)して「羽黒山(はぐろさん)」といふにや。

「出羽(でわ)」といへるは、「鳥の毛羽(もうう)をこの国の貢(みつぎもの)に献(たてまつ)る」と風土記(ふどき)にはべるとやらん。

月山(がっさん)・湯殿(ゆどの)を合わせて三山(さんざん)とす。

当寺(とうじ)武江東叡(ぶこうとうえい)に属(しょく)して天台止観(てんだいしかん)の月明(あき)らかに、円頓融通(えんどんゆずう)の法(のり)の灯(ともしび)かかげそひて、僧坊(そうぼう)棟(むね)をならべ、修験行法(しゅげんぎょうほう)を励(はげ)まし、霊山(れいざん)霊地(れいち)の験効(げんこう)、人貴(とうとび)かつ恐(おそ)る。

繁栄(はんえい)長(とこしなえ)にして、めでたき御山(おやま)といいつべし。

35 月山(がっさん)

八日、月山(がっさん)にのぼる。

木綿(ゆう)しめ身(み)に引きかけ、宝冠(ほうかん)に頭(かしら)を包(つつみ)、強力(ごうりき)といふものに道びかれて、雲霧山気(うんむさんき)の中に氷雪(ひょうせつ)を踏(ふみ)てのぼること八里(はちり)、さらに日月(じつげつ)行道(ぎょうどう)の雲関(うんかん)に入(い)るかとあやしまれ、息絶(いきたえ)身(み)こごえて頂上(ちょうじょう)にいたれば、日没(ぼっし)て月顕(あらわ)る。

笹を鋪(しき)、篠(しの)を枕(まくら)として、臥(ふし)て明(あく)るを待(ま)つ。

日出(い)でて雲消(きゆ)れば湯殿(ゆどの)に下(くだ)る。

谷の傍(かたわら)に鍛治小屋(かじごや)といふあり。

この国の鍛治(かじ)、霊水(れいすい)をえらびてここに潔斎(けっさい)して劔(つるぎ)を打(うち)、終(ついに)月山(がっさん)と銘(めい)を切(きっ)て世に賞(しょう)せらる。

かの龍泉(りゅうせん)に剣(つるぎ)を淬(にらぐ)とかや。

干将(かんしょう)・莫耶(ばくや)のむかしをしたふ。

道に堪能(かんのう)の執(しゅう)あさからぬことしられたり。

岩に腰(こし)かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半(なか)ばひらけるあり。

ふり積(つむ)雪の下に埋(うずもれ)て、春を忘れぬ遅(おそ)ざくらの花の心わりなし。

炎天(えんてん)の梅花(ばいか)ここにかほるがごとし。

行尊僧正(ぎょうそんそうじょう)の哥(うた)の哀(あわ)れもここに思ひ出(い)でて、猶(なお)まさりて覚(おぼ)ゆ。

そうじてこの山中(さんちゅう)の微細(みさい)、行者(ぎょうじゃ)の法式(ほうしき)として他言(たごん)することを禁(きん)ず。

よりてて筆(ふで)をとどめて記(しる)さず。

坊(ぼう)に帰れば、阿闍利(あじゃり)のもとめによりて、三山(さんざん)順礼(じゅんれい)の句々(くく)短冊(たんじゃく)に書く。

 
  涼(すず)しさや ほの三か月(みかづき)の 羽黒山(はぐろさん) 

  雲の峯(みね) 幾(いく)つ崩(くず)れて 月の山 

  語(かた)られぬ 湯殿(ゆどの)にぬらす 袂(たもと)かな 

  湯殿山(ゆどのさん) 銭(ぜに)ふむ道の 泪(なみだ)かな 曽良(そら)

36 鶴岡・酒田(つるおか・さかた)

羽黒(はぐろ)を立ちて、鶴(つる)が岡の城下(じょうか)、長山氏重行(ながやまうじじゅうこう)といふもののふの家にむかへられて、誹諧(はいかい)一巻(ひとまき)あり。

左吉(さきち)もともにに送(おく)りぬ。

川舟(かわぶね)に乗(の)りて酒田(さかた)の湊(みなと)に下(くだ)る。

淵庵不玉(えんあんふぎょく)といふ医師(くすし)のもとを宿(やど)とす。

  あつみ山や 吹浦(ふくうら)かけて 夕すずみ 

  暑(あつ)き日を 海にいれたり 最上川(もがみがわ)

37 象潟(きさがた)

江山(こうざん)水陸(すいりく)の風光(ふうこう)数(かず)を尽(つく)して、今(いま)象潟(きさがた)に方寸(ほうすん)を責(せ)む。

酒田(さかた)の湊(みなと)より東北の方(かた)、山を超(こ)え礒(いそ)を伝(つた)ひ、いさごをふみて、その際(きわ)十里(じゅうり)、日影(ひかげ)ややかたぶくころ、汐風(しおかぜ)真砂(まさご)を吹上(ふきあげ)、雨朦朧(もうろう)として鳥海(ちょうかい)の山かくる。

闇中(あんちゅう)に莫作(もさく)して、「雨もまた奇(き)なり」とせば、雨後(うご)の晴色(せいしょく)またたのもしきと、蜑(あま)の苫屋(とまや)に膝(ひざ)をいれて雨の晴(は)るるを待(ま)つ。

 
その朝(あした)、天よく晴れて、朝日(あさひ)花やかにさし出(い)づるほどに、象潟(きさかた)に船をうかぶ。

まず能因嶋(のういんじま)に船をよせて、三年(さんねん)幽居(ゆうきょ)の跡(あと)をとぶらひ、むかふの岸(きし)に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜(さくら)の老木(おいき)、西行法師(さいぎょうほうし)の記念(かたみ)をのこす。

江上(こうじょう)に御陵(みささぎ)あり。

神功后宮(じんぐうこうぐう)の御墓(みはか)といふ。

寺を干満珠寺(かんまんじゅじ)といふ。

このところに行幸(みゆき)ありしこといまだ聞かず。

いかなることにや。

この寺の方丈(ほうじょう)に座(ざ)して簾(すだれ)を捲(まけ)ば、風景(ふうけい)一眼(いちがん)の中(うち)に尽(つき)て、南に鳥海(ちょうかい)天をささえ、その陰(かげ)うつりて江(え)にあり。

西は有耶無耶の関(うやむやのせき)、路(みち)をかぎり、東に堤(つつみ)を築(きず)きて秋田(あきた)にかよふ道遥(はるか)に、海北にかまえて浪(なみ)打(う)ち入(い)るる所(ところ)を汐越(しおこし)といふ。

江(え)の縦横(じゅうおう)一里(いちり)ばかり、俤(おもかげ)松嶋(まつしま)にかよひてまた異(こと)なり。

松嶋は笑(わろ)ふがごとく、象潟はうらむがごとし。

寂(さび)しさに悲(かな)しみをくはえて、地勢(ちせい)魂(たましい)をなやますに似(に)たり。

 
  象潟(きさかた)や 雨に西施(せいし)が ねぶの花 

  汐越(しおこし)や 鶴(つる)はぎぬれて 海涼(すず)し 

   祭礼(さいれい)

  象潟(きさかた)や 料理(りょうり)何くふ 神祭(かみまつり) 曽良(そら)

  蜑(あま)の家(や)や 戸板(といた)を敷(しき)て 夕涼(ゆうすずみ) 
                   みのの国の商人(あきんど) 低耳(ていじ) 

   岩上(がんしょう)に 雎鳩(みさご)の巣(す)をみる 

  波(なみ)こえぬ 契(ちぎ)りありてや みさごの巣(す) 曽良

38 越後路(えちごじ)

酒田(さかた)の余波(なごり)日を重(かさ)ねて、北陸道(ほくろくどう)の雲に望(のぞ)む、遙々(ようよう)のおもひ胸(むね)をいたましめて加賀(かが)の府(ふ)まで百卅里(ひゃくさんじゅうり)と聞く。

鼠(ねず)の関をこゆれば、越後(えちご)の地に歩行(あゆみ)を改(あらため)て、越中(えっちゅう)の国市振(いちぶり)の関(せき)にいたる。

この間(かん)九日(ここのか)、暑湿(しょしつ)の労(ろう)に神(しん)をなやまし、病(やまい)おこりてことをしるさず。
 
文月(ふみづき)や六日(むいか)も常(つね)の夜には似(に)ず 

  荒海(あらうみや)や 佐渡(さど)によこたふ 天河(あまのがわ)

39 市振(いちぶり)

今日(きょう)は親しらず子しらず・犬もどり・駒返(こまがえ)しなどいふ北国一(ほっこくいち)の難所(なんじょ)を超(こ)えてつかれはべれば、枕(まくら)引(ひ)きよせて寐(ね)たるに、一間(ひとま)隔(へだ)てて面(おもて)の方(かた)に若(わか)き女の声二人(ふたり)ばかりと聞こゆ。

年老(としおい)たる男(おのこ)の声も交(まじり)て物語(ものがたり)するを聞けば、越後(えちご)の国新潟(にいがた)といふ所(ところ)の遊女(ゆうじょ)なりし。

伊勢(いせ)参宮(さんぐう)するとて、この関(せき)まで男(おのこ)の送(おく)りて、あすは古郷(ふるさと)にかへす文(ふみ)したためて、はかなき言伝(ことづて)などしやるなり。

「白浪(しらなみ)のよする汀(みぎわ)に身(み)をはふらかし、あまのこの世(よ)をあさましう下(くだ)りて、定(さだ)めなき契(ちぎ)り、日々(ひび)の業因(ごういん)いかにつたなし」と、ものいふを聞く聞く寝入(ねいり)て、あした旅立(たびだつ)に、我々(われわれ)にむかひて、「行衛(ゆくえ)しらぬ旅路(たびじ)のうさ、あまり覚束(おぼつか)なう悲(かな)しくはべれば、見えがくれにも御跡(おんあと)をしたひはべらん。衣(ころも)の上の御情(おんなさけ)に、大慈(だいじ)のめぐみをたれて結縁(けちえん)せさせたまへ」と泪(なみだ)を落(お)とす。

不便(ふびん)のことにははべれども、「我々(われわれ)は所々(ところどころ)にてとどまる方(かた)おほし。ただ人の行(ゆ)くにまかせて行(ゆ)くべし。神明(しんめい)の加護(かご)かならずつつがなかるべし」といひ捨(すて)て出(い)でつつ、哀(あわ)れさしばらくやまざりけらし。

 
  一家(ひとつや)に 遊女(ゆうじょ)もねたり 萩(はぎ)と月

曽良(そら)にかたれば、書(かき)とどめはべる。

40 越中路(えっちゅうじ)

黒部(くろべ)四十八ヶ瀬(しじゅうはちがせ)とかや、数(かず)しらぬ川をわたりて、那古(なご)といふ浦(うら)に出(い)づ。

担籠(たご)の藤浪(ふじなみ)は春ならずとも、初秋(はつあき)の哀(あわ)れとふべきものをと人に尋(たず)ぬれば、「これより五里(ごり)いそ伝(づた)ひして、むかふの山陰(やまかげ)にいり、蜑(あま)の苫(とま)ぶきかすかなれば、蘆(あし)の一夜(ひとよ)の宿(やど)かすものあるまじ」といひをどされて、加賀(かが)の国に入(い)る。

  わせの香(か)や 分入(わけいる)右は 有磯海(ありそうみ)

41 金沢・小松(かなざわ・こまつ)

卯(う)の花山・くりからが谷をこえて、金沢(かなざわ)は七月中の五日(いつか)なり。

ここに大坂(おおざか)よりかよふ商人(あきんど)何処(かしょ)といふ者(もの)あり。

それが旅宿(りょしゅく)をともにす。

一笑(いっしょう)といふものは、この道にすける名のほのぼの聞えて、世(よ)に知人(しるひと)もはべりしに、去年(こぞ)の冬早世(そうせい)したりとて、その兄追善(ついぜん)をもよおすに、 

  塚(つか)も動(うご)け 我(わが)泣(なく)声は 秋の風

   ある草庵(そうあん)にいざなはれて 

  秋涼(すず)し 手ごとにむけや 瓜(うり)茄子(なすび)

   途中吟(とちゅうぎん)

  あかあかと 日はつれなくも 秋の風

   小松(こまつ)といふ所(ところ)にて 

  しほらしき 名や小松(こまつ)ふく 萩(はぎ)すすき

この所(ところ)太田(ただ)の神社(じんじゃ)に詣(もうず)。

真盛(さねもり)が甲(かぶと)・錦(にしき)の切(きれ)あり。

往昔(そのむかし)源氏(げんじ)に属(しょく)せし時、義朝公(よしともこう)よりたまはらせたまふとかや。

げにも平士(ひらさむらい)のものにあらず。

目庇(まびさし)より吹返(ふきがえ)しまで、菊唐草(きくからくさ)のほりもの金(こがね)をちりばめ、龍頭(たつがしら)に鍬形(くわがた)打(う)ったり。

真盛(さねもり)討死(うちじに)の後(のち)、木曽義仲(きそよしなか)願状(がんじょう)にそへてこの社(やしろ)にこめられはべるよし、樋口(ひぐち)の次郎(じろう)が使(つかい)せしことども、まのあたり縁記(えんぎ)にみえたり。

  むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす

42 那谷・山中温泉(なた・やまなかおんせん)

山中(やまなか)の温泉(いでゆ)に行(ゆ)くほど、白根が嶽(しらねがだけ)跡(あと)にみなしてあゆむ。

左の山際(やまぎわ)に観音堂(かんのんどう)あり。

花山(かざん)の法皇(ほうおう)三十三所(さんじゅうさんしょ)の順礼(じゅんれい)とげさせたまひて後(のち)、大慈大悲(だいじだいひ)の像(ぞう)を安置(あんち)したまひて、那谷(なた)と名付(なづけ)たまふとなり。

那智(なち)・谷組(たにぐみ)の二字(にじ)をわかちはべりしとぞ。

奇石(きせき)さまざまに、古松(こしょう)植(うえ)ならべて、萱(かや)ぶきの小堂(しょうどう)岩の上に造(つく)りかけて、殊勝(しゅしょう)の土地なり。

  石山(いしやま)の 石より白し 秋の風

温泉(いでゆ)に浴(よく)す。

その功(こう)有明(ありあけ)につぐといふ。

  山中(やまなか)や 菊(きく)はたおらぬ 湯(ゆ)の匂(におい)

あるじとするものは久米之助(くめのすけ)とていまだ小童(しょうどう)なり。

かれが父誹諧(はいかい)を好(この)み、洛(らく)の貞室(ていしつ)若輩(じゃくはい)のむかしここに来たりしころ、風雅(ふうが)に辱(はずか)しめられて、洛に帰(かえり)て貞徳(ていとく)の門人(もんじん)となつて世(よ)にしらる。

功名(こうみょう)の後(のち)、この一村(いっそん)判詞(はんじ)の料(りょう)を請(うけ)ずといふ。

今更(いまさら)むかし語(がたり)とはなりぬ。

43 全昌寺

 
曽良(そら)は腹(はら)を病(やみ)て、伊勢(いせ)の国長嶋(ながしま)といふ所(ところ)にゆかりあれば、先立(さきだち)て行(ゆ)くに、

  行行(ゆきゆき)て たふれ伏(ふす)と も萩(はぎ)の原 曽良

と書置(かきおき)たり。

行(ゆ)くものの悲(かな)しみ、残(のこ)るもののうらみ、隻鳧(せきふ)のわかれて雲にまよふがごとし。

よもまた、

  今日よりや 書付(かきつけ)消(け)さん 笠(かさ)の露(つゆ)

大聖持(だいしょうじ)の城外(じょうがい)、全昌寺(ぜんしょうじ)といふ寺にとまる。

なお加賀(かが)の地なり。

曽良(そら)も前の夜この寺に泊(とまり)て、

  終宵(よもすがら) 秋風(あきかぜ)聞くや うらの山

と残(のこ)す。

一夜(いちや)の隔(へだ)て、千里に同じ。

われも秋風(あきかぜ)を聞きて衆寮(しゅりょう)にふせば、明(あけ)ぼのの空近(ちこ)う、読経(どきょう)声すむままに、鐘板(しょうばん)鳴(なり)て食堂(じきどう)に入(い)る。

今日は越前(えちぜん)の国へと、心早卒(そうそつ)にして堂下(どうか)に下るを、若(わか)き僧(そう)ども紙・硯(すずり)をかかえ、階(きざはし)のもとまで追(おい)来たる。

折節(おりふし)庭中(ていちゅう)の柳(やなぎ)散(ち)れば、 

  庭(にわ)掃(はき)て 出(い)でばや寺に 散(ちる)柳(やなぎ)

とりあへぬさまして草鞋(わらじ)ながら書(かき)捨(す)つ。

44 汐越の松(しおこしのまつ)

越前(えちぜん)の境(さかい)、吉崎(よしさき)の入江(いりえ)を舟に棹(さおさ)して汐越(しおこし)の松を尋(たず)ぬ。

 
  終宵(よもすがら)嵐(あらし)に波(なみ)をはこばせて月をたれたる汐越の松 西行(さいぎょう)

この一首(いっしゅ)にて数景(すけい)尽(つき)たり。

もし一辧(いちべん)を加(くわう)るものは、無用(むようの)の指を立(たつ)るがごとし。

45 天龍寺・永平寺(てんりゅうじ・えいへいじ)

丸岡(まるおか)天龍寺(てんりゅうじ)の長老(ちょうろう)、古き因(ちなみ)あれば尋(たず)ぬ。

また金沢の北枝(ほくし)といふもの、かりそめに見送(みおく)りて、このところまでしたひ来たる。

ところどころの風景(ふうけい)過(すぐ)さず思ひつづけて、折節(おりふし)あはれなる作意(さくい)など聞こゆ。

今すでに別(わかれ)に望(のぞ)みて、 

  物書(ものかき)て 扇(おうぎ)引(ひ)きさく なごりかな

五十丁(ごじっちょう)山に入(い)りて永平寺(えいへいじ)を礼(らい)す。

道元禅師(どうげんぜんじ)の御寺(みてら)なり。

邦機(ほうき)千里(せんり)を避(さけ)て、かかる山陰(やまかげ)に跡(あと)をのこしたまふも、貴(とうと)きゆへありとかや。

46 福井(ふくい)

福井(ふくい)は三里(さんり)計(ばかり)なれば、夕飯(ゆうめし)したためて出(い)づるに、たそがれの道たどたどし。

ここに等栽(とうさい)といふ古き隠士(いんじ)あり。

いづれの年にか江戸(えど)に来たりてよを尋(たず)ぬ。

遥(はるか)十(と)とせあまりなり。

いかに老(おい)さらぼひてあるにや、はた死(しに)けるにやと人に尋(たず)ねはべれば、いまだ存命(ぞんめい)してそこそこと教(おし)ゆ。

市中(しちゅう)ひそかに引入(ひきいり)て、あやしの小家(こいえ)に夕顔(ゆうがお)・へちまのはえかかりて、鶏頭(けいとう)はは木々(ははきぎ)に戸(と)ぼそをかくす。

さてはこのうちにこそと門(かど)を扣(たたけ)ば、侘(わび)しげなる女の出(い)でて、「いづくよりわたりたまふ道心(どうしん)の御坊(ごぼう)にや。

あるじはこのあたり何がしといふものの方(かた)に行(ゆき)ぬ。

もし用あらば尋(たず)ねたまへ」といふ。

かれが妻(つま)なるべしとしらる。

むかし物がたりにこそかかる風情(ふぜい)ははべれと、やがて尋(たず)ねあひて、その家に二夜(ふたよ)とまりて、名月(めいげつ)はつるがのみなとにとたび立(だつ)。

等栽(とうさい)もともに送(おく)らんと、裾(すそ)おかしうからげて、道の枝折(しおり)とうかれ立(たつ)。

47 敦賀(つるが)

漸(ようよう)白根(しらね)が嶽(だけ)かくれて、比那(ひな)が嵩(だけ)あらはる。

あさむづの橋をわたりて、玉江(たまえ)の蘆(あし)は穂(ほ)に出(い)でにけり。

鴬(うぐいす)の関(せき)を過(すぎ)て湯尾峠(ゆのおとうげ)を越(こゆ)れば、燧(ひうち)が城(じょう)、かへるやまに初鴈(はつかり)を聞きて、十四日の夕ぐれつるがの津(つ)に宿(やど)をもとむ。

その夜、月ことに晴(は)れたり。

「あすの夜もかくあるべきにや」といへば、「越路(こしじ)のならひ、なお明夜(めいや)の陰晴(いんせい)はかりがたし」と、あるじに酒すすめられて、けいの明神(みょうじん)に夜参(やさん)す。

仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の御廟(ごびょう)なり。

社頭(しゃとう)神(かん)さびて、松の木(こ)の間(ま)に月のもり入(はいり)たる、おまへの白砂(はくさ)霜(しも)を敷(しけ)るがごとし。

「往昔(そのむかし)遊行二世(ゆぎょうにせ)の上人(しょうにん)、大願発起(たいがんほっき)のことありて、みづから草を刈(かり)、土石(どせき)を荷(にな)ひ、泥渟(でいてい)をかはかせて、参詣(さんけい)往来(おうらい)の煩(わずらい)なし。

古例(これい)今にたえず。

神前(しんぜん)に真砂(まさご)を荷(にな)ひたまふ。

これを遊行(ゆぎょう)の砂持(すなもち)ともうしはべる」と、亭主(ていしゅ)のかたりける。

  月清(きよ)し 遊行のもてる 砂の上 

十五日、亭主の詞(ことば)にたがはず雨降(あめふる)。

 
  名月(めいげつや)や 北国(ほっこく)日和(びより) さだめなき

48 種の浜(いろのはま)

十六日、空(そら)霽(はれ)たれば、ますほの小貝(こがい)ひろはんと種の浜(いろのはま)に舟を走(は)す。

海上(かいじょう)七里(しちり)あり。

天屋(てんや)何某(なにがし)といふもの、破籠(わりご)・小竹筒(ささえ)などこまやかにしたためさせ、しもべあまた舟にとりのせて、追風(おいかぜ)時のまに吹(ふ)き着(つ)きぬ。

浜(はま)はわづかなる海士(あま)の小家(こいえ)にて、侘(わび)しき法花寺(ほっけでら)あり。
ここに茶を飲(のみ)、酒をあたためて、夕ぐれのさびしさ感(かん)に堪(たえ)たり。

  寂(さび)しさや 須磨(すま)にかちたる 浜(はま)の秋 

  波の間(ま)や 小貝にまじる 萩(はぎ)の塵(ちり)

その日のあらまし、等栽(とうさい)に筆(ふで)をとらせて寺に残(のこす)。

49 大垣(おおがき)

露通(ろつう)もこのみなとまで出(い)でむかひて、みのの国へと伴(ともな)ふ。

駒(こま)にたすけられて大垣(おおがき)の庄(しょう)に入(い)れば、曽良(そら)も伊勢(いせ)より来たり合い、越人(えつじん)も馬をとばせて、如行(じょこう)が家に入(い)り集(あつ)まる。

前川子(ぜんせんし)・荊口父子(けいこうふし)、そのほかしたしき人々日夜とぶらひて、蘇生(そせい)のものに会ふがごとく、かつ悦(よろこ)び、かついたはる。

旅(たび)のものうさも、いまだやまざるに、長月(ながつき)六日(むいか)になれば、伊勢(いせ)の遷宮(せんぐう)おがまんと、また舟にのりて、 

  蛤(はまぐり)の ふたみにわかれ 行(ゆ)く秋ぞ

最終更新時間:2010年02月19日 18時20分51秒