41 金沢・小松
41 金沢(かなざわ)・小松(こまつ)
地図
妙立寺 小松寺
原文
卯(う)の花山・くりからが谷をこえて、金沢(かなざわ)は七月中の五日(いつか)なり。
ここに大坂(おおざか)よりかよふ商人(あきんど)何処(かしょ)といふ者(もの)あり。
それが旅宿(りょしゅく)をともにす。
一笑(いっしょう)といふものは、この道にすける名のほのぼの聞えて、世(よ)に知人(しるひと)もはべりしに、去年(こぞ)の冬早世(そうせい)したりとて、その兄追善(ついぜん)をもよおすに、
塚(つか)も動(うご)け 我(わが)泣(なく)声は 秋の風
ある草庵(そうあん)にいざなはれて
秋涼(すず)し 手ごとにむけや 瓜(うり)茄子(なすび)
途中吟(とちゅうぎん)
あかあかと 日はつれなくも 秋の風
小松(こまつ)といふ所(ところ)にて
しほらしき 名や小松(こまつ)ふく 萩(はぎ)すすき
この所(ところ)太田(ただ)の神社(じんじゃ)に詣(もうず)。
真盛(さねもり)が甲(かぶと)・錦(にしき)の切(きれ)あり。
往昔(そのむかし)源氏(げんじ)に属(しょく)せし時、義朝公(よしともこう)よりたまはらせたまふとかや。
げにも平士(ひらさむらい)のものにあらず。
目庇(まびさし)より吹返(ふきがえ)しまで、菊唐草(きくからくさ)のほりもの金(こがね)をちりばめ、龍頭(たつがしら)に鍬形(くわがた)打(う)ったり。
真盛(さねもり)討死(うちじに)の後(のち)、木曽義仲(きそよしなか)願状(がんじょう)にそへてこの社(やしろ)にこめられはべるよし、樋口(ひぐち)の次郎(じろう)が使(つかい)せしことども、まのあたり縁記(えんぎ)にみえたり。
むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす
最終更新時間:2010年02月21日 10時27分38秒